アニメやゲームなど様々な作品で活躍されている若手声優さんに、進路や仕事についてインタビューする企画が始動!第3弾では、アニメ『スタンドマイヒーローズ-PIECE OF TRUTH-』や『あんさんぶるスターズ!』『ヒナまつり』などに出演の男性声優・中島ヨシキさんにお話を伺いました。
声優としてはもちろんラジオや吹き替えなど多方面で活躍されている中島さんは、中学校を卒業して高校へは行かず、そのまま声優の専門学校に進学したのだそう。インタビューでは高校に行かず専門学校への進学を考えた理由や、声優を目指す上で力を入れておいた方がいいことなど、声優志望の方に役立つ内容を中心にお届けします。
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オープンキャンパスでのアフレコ体験をきっかけに、声優の道へ
本日はよろしくお願いいたします。声優のお仕事を初めてどれくらいになりますか?
中島ヨシキさん
初めてのお仕事をやった時から数えると10年になります。
事務所に入ったのはいつ頃ですか?
中島ヨシキさん
事務所に入ったのは7~8年くらい前ですね。
声優を目指したきっかけは何ですか?
中島ヨシキさん
極端に言えば「勉強がしたくなかった」というのが理由です(笑)。中学校を卒業してすぐ専門学校に行っているんですけど、高校に行って勉強することに意義を見出せなくて。中学3年生の時、周りが高校受験でバタバタしている中でどこか違和感を感じていたんです。高校に行くのって当たり前のような雰囲気がありますけど、僕自身とりたてて成績がすごく良かったわけでもなかったので、高校に行って勉強して大学に行ってっていう流れに魅力を感じられなくて。
中島ヨシキさん
でも一般常識として高校には行っておくべきだろう、という考えもあり……。なので高校のオープンキャンパスとかに足は運んでいたのですが、それに含めて専門学校のオープンキャンパスにも行っていたんです。その中でアフレコ体験をしたのが直接的なきっかけかなと。そこで学校の講師の方に誘われた特待生オーディションみたいなものを受け、賞を頂けたので、そこからとんとん拍子に、という感じですね。
なるほど。オープンキャンパスに行った時点で、声優のお仕事に元々興味はあったのでしょうか?
中島ヨシキさん
無くはなかったんですけど、自分がお芝居をするとか演技をするというビジョンは全く無かったですね。どちらかというと絵を描いたり文章を書いたりする方が好きだったので。
例えば自分で絵を描いていて「このキャラクターあの声の人がやってくれたらピッタリだな」とかを考える側でしたね。
例えば自分で絵を描いていて「このキャラクターあの声の人がやってくれたらピッタリだな」とかを考える側でしたね。
中学校を卒業して専門学校、という他の人と違う道を進むことに対して不安は無かったのでしょうか?
中島ヨシキさん
当時は全く無かったんじゃないですかね。逆に専門学校に入って一年経ったくらいから不安が出てきました(笑)。これひょっとしたらすごい博打なんじゃないかと。
中島ヨシキさん
やっぱりお芝居や演技の楽しさ、やりがいというのを、専門学校に入ってから気付いてくるんですよね。一年ぐらいしてから声優や俳優、役者というお仕事がどういうものなのかが何となく見えてきたときに「ひょっとして声優で成功しなかったら人生ヤバいんじゃないか?」と思い始めました。
親は中学を卒業して専門に行くことに対してどのような反応だったのでしょう?
中島ヨシキさん
専門が学費免除だったんですけど、親には学費はどうでもいいから高校に行けと言われましたね(笑)。
どうやって説得したんですか?
中島ヨシキさん
もう諦めさせるまで粘りました。「他行く気ないから」みたいな。最終的には交換条件でしたね。全日制じゃなくてもいいから通信制とかの高校に行け、と言われたのでWワーク状態でした。
Wワークだとかなり忙しくて大変だったのではないでしょうか。
中島ヨシキさん
そうですね。普通にどちらかで良かったですね……(笑)。自分は結構大変な思いをしたので、周りで同じことをやろうとしている人がいたらオススメはできないです。2つやるとどちらにも意識を持っていかれてしまってどちらかが疎かになってしまう可能性があるので。これ、と決めたらそこに賭けた方が良いんじゃないかな、と。
中島ヨシキさん
一番覚えているのが、どの学校も新聞奨学生の制度があるところが多いと思うんですけど、新聞配達が大変すぎてレッスンに来られないみたいな、元も子もない状況に陥っている人がいたんですよね。なので一つに絞って打ち込める方が良いのかなと思います。
声優学校なのに「舞台」の授業⁉ 「しんどい」から「楽しい」に変化したきっかけとは
専門学校ではどのようなことを学びましたか?
中島ヨシキさん
色々あるんですけど……一番最初にやったのは「舞台」でしたね。最初の一年は舞台でのお芝居を学びました。
それこそアフレコのレッスンとかはほぼ無かったです。お芝居ができてからじゃないと、という感じでした。
それこそアフレコのレッスンとかはほぼ無かったです。お芝居ができてからじゃないと、という感じでした。
舞台でのお芝居というのはそのままのイメージ通り、舞台に立ってお芝居をする、ということですよね?
中島ヨシキさん
台詞を覚えて体を動かしてやるような言葉通りのやつです。それをクラスのみんなでひたすらやっていましたね。これは声優の学校ならどこでも取り組んでいると思います。
「声優=体を動かして演技」のイメージが無かったので驚きました。
中島ヨシキさん
実は声優も体を動かしているんですよね。マイクの前でも音が立たないように体を動かす人は多いです。
他に印象的な授業はありましたか?
中島ヨシキさん
僕の通っていた学校だと歌やダンスの授業があったり、ちょうど入学した年は殺陣を教えてもらうこともありました。
特に楽しかった、面白かった授業はありますか?
中島ヨシキさん
振り返ってみるとしんどいとか辛いと感じることの方が多かったような記憶があります(笑)。
机に向かってイスに座って板書取ってみたいな普通の授業もあったんですけど、基本的には人前に立って台詞を喋ったり自己PRしてくださいとかの繰り返しだったので、「楽しい」と思えるまで結構時間がかかりました。
机に向かってイスに座って板書取ってみたいな普通の授業もあったんですけど、基本的には人前に立って台詞を喋ったり自己PRしてくださいとかの繰り返しだったので、「楽しい」と思えるまで結構時間がかかりました。
中島ヨシキさん
ただ羞恥心を乗り越えてくると、台詞を喋るのも楽しくなったり手ごたえを感じるようになりました。
特に2年目は卒業公演でクラスのみんなや先生たちと一つの舞台を作る機会があったんですけど、それが無事に終わった時に達成感みたいなものは味わえたと思います。
特に2年目は卒業公演でクラスのみんなや先生たちと一つの舞台を作る機会があったんですけど、それが無事に終わった時に達成感みたいなものは味わえたと思います。
「しんどい」「辛い」という感情から羞恥心を乗り越えて「楽しい」という感情に変わったきっかけはあるのでしょうか?
中島ヨシキさん
何か大きなきっかけがあったというよりは、徐々に気持ちが変化していったような感じでしたね。何度か舞台製作をする機会があったんですが、入学して初めて一つの舞台を終えたくらいの時から変化していったように思います。
達成感と一緒に「楽しい」という感情も芽生え始めた感じでしょうか。
中島ヨシキさん
「あ、舞台って、成功するとこんなに楽しいんだ」みたいな。またやりたいってなったのは一回舞台を経験してからですね。
基礎の基礎「感情の解放」レッスンが非常に高い壁!
先ほど授業はほとんどしんどかった、辛かったとお話がありましたが、特に大変だと感じた授業はありましたか?
中島ヨシキさん
人前で怒ったりとか、泣いたりとか、笑ったりとか、お芝居でやろうとするととても難しいんですけど、演技をする以上特に面白くもないのに笑ったり泣かなければいけない場面が必ず出てくるんです。
入学して最初の2カ月間、感情を解放という名目で怒りや悲しみを表現するというレッスンがあったんですけど、これがすごく大変で。このレッスンでくじけて辞めちゃう人とか、僕自身も精神的に追いつめられるようなレッスンでした。
入学して最初の2カ月間、感情を解放という名目で怒りや悲しみを表現するというレッスンがあったんですけど、これがすごく大変で。このレッスンでくじけて辞めちゃう人とか、僕自身も精神的に追いつめられるようなレッスンでした。
感情の解放って、具体的にどんなことをするんですか?
中島ヨシキさん
相手と机一つ分くらいの距離で向かい合って「あ」って言うんですよ。で、この「あ」で例えば殺意を表現するんです。目の前の相手が殺したいほど憎い人だと思って、「殺す」という言葉を「あ」に変えて言う、みたいな。「あ」で怯えさせろとか。
中島ヨシキさん
当時もわけが分からなかったですし正直今でもできる気がしないです(笑)。「あ」で今までの人生で一番悲しかったことを表現しなさいとか、今目の前でビルの屋上から落ちかけている人がいて、それを助けるためにはどういう声をかけるべきか、とか。それが一通り終わった後に、「それだとその人死んじゃうよね」とか「その程度の気持ちだったら救えないよね」と指導が入りました。
怒りって最終的には殺意とか憎しみに変わったり、悲しいなら立っていられないとか、楽しいなら楽しすぎると鼻血出るよね、とか、極端な感情の表現ですよね。
怒りって最終的には殺意とか憎しみに変わったり、悲しいなら立っていられないとか、楽しいなら楽しすぎると鼻血出るよね、とか、極端な感情の表現ですよね。
かなり難しそうですね……。感情の解放は、今の仕事でもかなり役立っているのでしょうか?
中島ヨシキさん
そもそもそれができないといけないんだと思います。基礎の基礎なので。感情の扉を開けれるかどうか、その壁を乗り越えれるかどうか。
かなり高そうな壁ですよね。
中島ヨシキさん
それが一番大変なんですけど、それができて初めて台詞に入れる。「あ」で表現できれば台詞は簡単に言えるよね、みたいな。
中島ヨシキさん
感情の解放を4月に入学して6月くらいまでやるんですよ。それで7月半ばくらいから夏季休暇に入るじゃないですか。しんどい3カ月を乗り越えたあとに夏季休暇に入ると、帰ってこれなくなっちゃうんですよね。夏休み明けにクラスの人数が2/3になっていたり。過酷な場所ではあったと思いますね。
ただ声優さんが好きゲームが好きアニメが好きだけではなかなかモチベーションが保ちづらいだろうなとは思います。
ただ声優さんが好きゲームが好きアニメが好きだけではなかなかモチベーションが保ちづらいだろうなとは思います。
今の事務所に所属することになったきっかけはなんですか?
中島ヨシキさん
自分の通っていた学校で合同オーディションのような、養成所とかに学生を紹介する場がありまして。僕が今所属している81プロデュースも合同オーディションの場にいる事務所の一つだったんです。
中島ヨシキさん
僕が好きだった声優の柿原徹也さんが当時所属されていて。事務所にもそれぞれ得意不得意やカラーがあって所属する人達も違うので、入ってみないと分からないところがあったんです。だったらいいなと思っていた作品で主人公をされていた先輩がいる事務所にまずは入ってみようかなと思って、オーディションを受けたのがきっかけですね。
他の事務所は特に検討しなかったんですか?
中島ヨシキさん
いくつかの資料を読む中で「ここだったら自分のやりたいこととマッチするんじゃないか」と思った事務所は他にもあったんですけど、今の事務所のオーディションが選考も結果も日程が一番早かったのでここに決めたところもあります。
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